がんばれ

長い一年も終わりを向かえ、明日からはまた新しい一年が始まる。
やっと宿題になっていた旅行記が描き終わりましたので、年明けの次回から七夜にわたってアップして行きたいと思います。
・・・それでも、もう1本宿題が残っていたり。そちらも早々に書こうと思います。

まあ、そんなサボリ気味の一年でしたが、最後に年の暮れのことを少しだけ。


あるビルに、地下一階から地上3階まで吹き抜けになっているところがあり、そこには半円形の噴水があります。
先日の休みの日、近くを通りかかったときにその吹き抜けの方からなにやら叫び声が聞こえたので、2階部分から見下ろしてみました。

すると、吹き上がる噴水に向けて、15人くらいの幼稚園ぐらいの子供たちが「がんばれ〜」と声援を送っています。
その噴水は地下1階から吹き上がり、高さは3階部分まで達するくらい高くまで吹き上がります。それ以上高くしたら天井についてしまうだろうに、子供たちはさかんに「がんばれ〜」と声援を送ります。
噴水はいろんなパターンがあって小さく噴出したり、照明の色を変えたりと七変化するのですが、なぜか子供たちは天井まで届こうかという一本の水柱が吹き上がるときに「がんばれ〜」と声援を送ります。
それはもう、両手を口にあてて、がんばれ〜、がんばれ〜と声を大にして叫びます。

そこで、ふと思うわけです。
最近こんなに「がんばれ」と叫んだことがあったかと。
年を重ねると、ただ「がんばれ」だけでなく、ここはこうしたほうが良いよ、という具体的なアドバイスを交えて「頑張れ」と言わないと、ただ具体的な手段もアドバイスもなく無責任にがんばれと言っているように思われるんじゃないかと思ってしまうわけです。
そりゃ野球とか見に行けば叫ぶでしょうが、あの子供たちのように、ただ必死に、祈るように、「がんばれ」と叫ぶかと。そこには打算も何もなく、具体性もなく、ただ、さらに上に行けという、その想いをぶつけるような、だからこそ純粋な叫びは、今ではもう出来なくなったんではないかと。

子供たちから、何かを学んだ一日でした。