私の仕事場の地下鉄最寄り駅は階段がひとり分の幅しかなく、朝の通勤ラッシュ時は改札へは上りエスカレーターで、ホームに下りる人は階段でというのが暗黙の了解になっており、そのため階段から降りてきた人が電車に乗るにはエスカレーターに乗る人の列が壁になってしまいます。オフィス街の外れにある駅のため通勤時に電車に乗る人はほとんどいないので特に誰が困るというわけではありません。

 その階段を、私が乗ってきた電車に乗り遅れまいと猛然とダッシュしてきた女性がおりました。小さな女の子を挟んでその子の父親、女の子、私の順でエスカレーターに乗る列に並んでいたのですが、こともあろうにその女性は前の女の子と私を突き飛ばして電車に飛び乗りました。女の子はまだ保育園にも入らない年齢、おそらく父親が託児所にあずけるであろうことが想像される年齢の子供です。大人の私が半身ぶつかられてたいがいの衝撃でしたから、もし父親が女の子の手を繋いでいなかったらどうなったことでしょう。幸いにも女の子に怪我はありませんでしたが、その女性は飛び乗った電車で逃げるように行ってしまいました。一言の謝罪もせずに。

 私も飛び込み乗車をしたことがないわけではありません。しかし、ここまで危なく、またぶつかって一言も謝らずに飛び乗ったことはありませんし、見たこともありません。私は腹立たしさとともに情けなさが込み上がってきました。というのはその親子は外国人の親子だったからです。

 別に日本人だけがそういうことをしているわけでも日本人全てがそういう人間というわけではありませんし、人種で良し悪しが決まるわけでもありません。しかし、この瞬間込みあえげてくるのは日本人というものが誤解さたのではないかという羞恥心と、謝罪のひとつもなく飛び乗って行った女性に対する怒りが織り交ざった「情けなさ」でした。通勤ラッシュ時の地下鉄です。2分もあれば次の電車が来るのにそれを待てずにこのありさま。


その時思い出したのが「モンキーターン」(河合克敏著・小学館少年サンデーコミックス刊)という競艇漫画のある巻末に乗っていた実在の競艇選手との対談でした。競艇は水上の格闘技と言われるぐらい激しいレースです。一瞬の判断ミスが事故につながり、実際に再起不能な怪我を負ったり、最悪死亡事故も起きるくらい危険の伴うレースです。


「今までレース中で体験したことで、一番危ないと思った場面を教えてください」


と質問する作者にその選手はこう答えます。


「危なかった場面? 事故とか? 自分は危ないと思ったらそれ以上はいかない。危ないかも、と思いつつもイチかバチかなんて、あやふやな判断でレースをするから事故になる。そんなヤツがいたら、自分はそいつを叱りつける」


 人生はレースとまで言いませんが、単にレースだけに限った言葉ではなく、一読以降、私の胸にこの言葉は刻まれています。


 あの親子は日本人というものを誤解せずにいてくれるだろうか。あの女の子は日本を好きになってくれるだろうか。